黒 駒 の 合 戦(くろこまのかっせん)

天正10年 3月11日
 武田勝頼大和村田野で自害。武田氏滅亡。甲斐国は、河尻秀隆に与えられる。
同 6月2日
 本能寺の変で信長誅殺。河尻秀隆甲斐の地侍に謀殺される。北条左衛門大夫氏繁・氏舜・左衛門佐氏忠が、郡内に侵攻する。北条氏忠谷村館に入る。
天正10年8月12日
 谷村城を拠点としていた北条氏忠が御坂峠を越えて黒駒へ攻め入り、甲府を守っていた鳥居元忠等が上黒駒でこれを迎え撃ち、北条軍をうち破った。この戦を黒駒合戦という。
同 10月29日
 徳川・北条和議が成立。都留郡内領を徳川領とし、甲斐一国を徳川家康が領有。郡内領は鳥居元忠に与えられた。
【詳しく知りたい人】
都留市史 通史編 1996 都留市史編纂委員会