日 光 東 照 宮(にっこうとうしょうぐう)

日光東照宮 元和2年(1616)、将軍家康が没するとその柩はまず久能山に移され、その翌年に日光に移された。
 この時家康の側近本多正純とともに松平正綱、板倉重昌、秋元泰朝の御近習出頭入らが家康の霊柩に従った。
 この後、寛永元年(1623)泰朝は松平正綱とともに日光造営奉行となり東照宮の造営を行うが、日光に本格的な東照宮の諸堂社が造営されたのは家康21回忌にあたる寛永13年(1636)の大造営の時で、3代将軍家光によって完成し、陽明門をはじめ現在に残る豪華な社殿となった。
秋元泰朝奉納の狛犬(東照宮奥の院前)  この造営工事の総奉行となったのが秋元泰朝であり、寛永19年(1642)秋元泰朝ら3名の連署で造営費用の決算書に当たる「日光山東照宮造営帳」が幕府金奉行に提出された。
 この工事が完成した寛永13年には御宮遷宮の儀式が執り行われ、泰朝は松平正綱、板倉重昌とともに供奉した。
 東照宮奥院に奉納された一対の狛犬は松平正綱と秋元泰朝が奉納したもので、この時の造営の功績で特別に奉納が許されたものである。
 泰朝の死後、造営奉行の時に詰所となっていた所には泰朝を祀った「照尊院」が開基されて墓石が建てられた。
【詳しく知りたい人】
日光市史 中巻  1975  日光市史編纂委員会
高藤晴俊 『日光東照宮の謎』 1996 講談社現代新書
「徳川実紀」より抄録 都留郡の領主 上巻 1995 瀧本光清
谷村藩主秋元公三代と日光東照宮 1998 高取堅二