妙 心 法 師(みょうしんほうし)

御正体大権現御山絵図 妙心上人は、美濃国大野神原庄(現岐阜県大野郡谷汲村字神原)に安永8年(1779)11月1日に生れ、幼名熊吉、小市郎と称した。
 9歳のとき、聖護院宮内正行院の弟子となって修業したが、寛政9年(1791)師が遷化し、先きに父母を失い、世の無常を感じて故郷を離れて修行し、享和元年(1802)善光寺の別当亮寛の弟子となったが、師に乞うて諸国を行脚した。
妙心法師修行の図 文化10年(1813)たまたま、鹿留村に来てこの地を修行の場所と定め、御正体山を開いた。続いて小野若宮の神官小野睦奥の了解を得て、開地、谷村方面を加え、道志、相模方面に信者を広めていった。
 妙心法師は、文化12年(1815)4月24日、御正体山の上人堂に籠り、一水もとらずに座禅、断食して「ミイラ」となって入滅し上人堂に祀られ、多くの信者を集めた。
 御正体山は、その後、2代妙善尼、3代巨戒上人が入山し、信仰を広めたが、明治維新による修験宗廃止の官令により、信徒は追い払われ急速に衰退していった。
 妙心法師の即身仏(ミイラ)は、明治23年に生まれ故郷の横蔵寺に安置され、現在にいたる。
【詳しく知りたい人】
都留市史 通史編 1996 都留市史編纂委員会
棚本安男「妙心法師即身仏受難の時代」 郡内研究第5号 1992 都留市郷土研究会
都留市史 資料編 近世U 1994 都留市史編纂委員会
伊藤雪子「御正体山と妙心上人」郡内研究6号 1996 都留市郷土研究会
「御正体山とお上人」1980 中野八吾
「虹のかけ橋」1996 御正体山史跡保存会