徳治11年(1306)に生まれる。南北朝時代の武将。尊氏の同母弟。錦小路殿という。元弘の乱には尊氏と行動をともにし,建武中興で相撲守となり鎌倉に居住。建武2年(1335)護良親王を殺し,翌年尊氏にすすめて挙兵し,京都に攻め入ったが九州に敗走。
同年ふたたび上京、尊氏が幕府を開くと,補佐して諸政を行なう正平4年(1349)正平4年(1349)高師直と争い,次いで尊氏とも不和となり,鎌倉で毒殺された。
この足利直義が、三井寺の衆徒に対して宛てた沙汰状が、伝来経路を不明であるが市内に残されている。
勢多橋警固事、
厳密可レ致、其沙汰
之状如件
康永二年八月十日直義 (花押)
園城寺衆徒中
(川茂 天野正之家文書)