井 原 西 鶴(いはらさいかく)
寛永19年(1642)生まれ。江戸前期の浮世草子作家・俳人。大坂の富裕な町人の家に生まれた。
西山宗因に師事し、談林派俳譜の最前線で活躍。貞享元年(1684)一昼夜2万3500句をよみ、矢数俳諸の第一人者と称された。このころより浮世草子の執筆をも始め、天和2年(1682)「好色一代男」、続く「好色一代女」「好色五人女」などの好色物は封建制下の町人生活を好色を通じていきいきと描き、「日本永代蔵」「世間胸算用」などの町人物は町人を中心とした当時の経済生活をリアルに描いている。「武家義理物語」などの武家物は、武士の生活と意気地を描いた。
その現実把握はきわめて鋭く、当初は楽天的であったが、晩年に至り諦念の塊地を開いたといわれている。
この西鶴の描く作品の中には、『好色一代男』『好色五人女』など、当時郡内地域の特産品であった「郡内縞」が登場する。また、『日本永代蔵』には、江戸駿河町で商売していた越後屋の商売の様子次のように描かれ、そこでは「郡内縞」も商われていた。
『日本永代蔵』 井原西鶴
商いの道はある者、三井九郎右衛門といふ男、手金の光、むかし小判の駿河町という所に、面9間に40間に、棟高く長屋作りして新棚を出し、「万現銀売りに掛値なし」と相定め、40余人利発手代を追ひまわし、一人一色の役目、たとえは、金襴1人、日野・郡内絹類1人、羽二重1人、紗綾類1人、紅類1人、麻袴類1人、毛織類1人、このごとく手わけをして、天鷲絨(びろーど)1寸四方、緞子毛貫袋になる程、緋繻子鑓印だけ、竜の袖覆輪かたかたにても、物の自由に売り渡しぬ、殊更俄目見えの熨斗目、いそぎの羽織などは、その使いをまたせ、数十人の手前細工立ちならび、即座に仕立て、これをわたしぬ、さによって家栄え、毎日金子150両ずつならして商売しけるとなり。
- 【詳しく知りたい人】
- 都留市史 通史編 1996 都留市史編纂委員会