宝永元年(1704)
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秋元喬知川越に転封を命ぜられる。(『徳川実記』) |
2年(1705)
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2月17日、甲州谷村城破却命ぜられる。(『徳川実記』) 2月22日、川越城を先の主松平美濃守吉保より受取りの御目付岡部庄左衛門、御番衆柴田三左衛門、郷方御代官柴田三郎左衛門、片野総左衛門、佐野与右衛門等也(『原委私鈔集』) 先ず、川越城を受取り、後に都留郡に入った。 2月29日、谷村泰安寺にある所の長朝、泰朝、富朝の三宝を上州総社の光厳寺 へ遷す。(『原委私鈔集』) 3月12日、柳沢吉保山梨,巨麻、八代三郡一円に給わり、これより甲斐の国主 と称す。 (『徳川実記』) 3月21日、谷村を発駕して川越に移る。(『甲斐国志草稿』領主部) 御料御代官清野与右衛門、町野惣右衛門宝永2年3月より御代官両人にて支配。宅邸を毀て、田畑を開き城築を崩して溝池を埋め、唯高山甚五兵衛ヵ旧宅追手の東北の側にあり此の宅を残して陣屋也、一郡の政務を行う。6月より平岡次郎右衛門同彦兵衛支配となる。 |
3年(1706)
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7月4日、甲斐都留郡を松平美濃守吉保に預けられる。(『徳川実記』) |