年号(西暦)
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内 容
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明治元年(1868)
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◇幕府軍脱走兵境の天野家を襲った後山中で逮捕される。甲府、市川、石和の三部代官を改め、三部知県事となる。甲斐府となる。 |
2年(1869)
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◇甲斐府を改め甲府県となる。郡内谷村に支庁が設けられる。 |
4年(1871)
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◇興譲館、谷村学校となる。甲府県が廃され山梨県となり土肥実匡が県令となる。 |
5年(1872)
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◇県内4郡を80区に分け、名区に正(1人)副(2人)戸長を置き壬申戸籍がつくられる。上谷村郵便取扱所が設置され鈴木与次右衛門が取扱人となる。谷村区裁判所が陣屋跡に設置される。(明治6年廃止)各区正副戸長が廃され正副区長を選挙。県内8学区取締役が任命される。太陽暦が布され、この年12月3日をもって明治6年1月1日とする。 |
6年(1873)
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◇市村伍組編成法、区戸長公選法が発布。百姓代の制度が廃される。警察取締所が谷村に設置される。藤村紫朗県令、谷村を訪れる。 |
7年(1874)
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◇織物など殖産の「郡内会社」が設立される。 |
8年(1875)
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◇上・下谷村を合して谷村となり郡中会所を役場とする。四日市場、古川渡、川茂、小形山、田野倉、井倉村合併して禾生村となる。川棚、加畑、平栗、厚原、大幡、中津森、金井村合併して宝村となる。 ◇上暮地、下暮地、小沼、倉見、境、夏狩、十日市場、鹿留村合併して桂村となり役場を小沼におく。 ◇法能、玉川、戸沢村合併して三吉村となる。小野、熊井戸、菅野村合併して開地村となる。与縄、朝日馬場、朝日曽雌村合併して盛里村となる。県、都留郡の海気絹濫造を戒める。 |
9年(1876)
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◇県下の区画改正により80区を34区に改める。 |
10年(1877)
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◇県病院谷村分院開業。谷村区裁判所を設置。各区の副戸長および勧業掛、土木掛を廃す。郡部で最初の芝居小屋谷村座開座する。谷村警察署庁舎を谷村215番地に新築。 |
11年(1878)
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◇4郡を9郡に分け南都留郡役所が谷村陣屋内に設置される。初代郡長斉土斉任命される。尾県学校が小形山稲村神社境内に新築して開校。盛里村出身の画家旭岳麟没す。(79) |
12年(1879)
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◇郡役所が開庁。第十国立銀行出張所を郡役所内に置く。谷村で私設消防組のほかに30名で公設消防組が設けられる。この時初めてドイツ製腕用ポンプ1台購入。谷村小学校校舎完成・田野倉小学校校舎落成。谷村よりコレラ病発生し11月まで流行する。(県下患者総数1,036人・死者567人、南都留患者数669人・死者389人)。第1回県会議員選挙実施される。 |
13年(1880)
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◇笠井病院開業。 |
14年(1881)
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◇谷村区裁判所庁舎新築(現在地)。金融機関饒益社が谷村に設置される。 |
15年(1882)
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◇甲斐絹のうち絵甲斐絹さかんに織り出される。俳人大森香芸(大痴)永平寺貫主久我環渓禅師と北海道に飛錫する途中広徳院に立寄り没す。(61歳) |
18年(1885)
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◇谷村に大火100余戸焼失。 ◇三吉、開地、盛里村合して三吉村外2ケ村連合村となり戸長役場を三吉村に置く。 |
19年(1886)
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◇南都留郡立色染所が谷村に開設。桂村の俳人天野不争没(47歳)。東京の俳人萩原乙彦谷村に流寓中に没す(61歳)。 |
20年(1887)
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◇昇小学校校舎新築。郡立南鶴高等小学校長安寺を仮校舎として開校。(25年廃校)伯爵後藤象二郎、島木仲通の乞いにより大江卓と谷村に遊び日下部鳴鶴、三島中州等と風流輸墨の筵が開かれる。 |
21年(1888)
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◇夏狩の俳人勝俣三千代没。(56歳) |
22年(1889)
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◇県病院谷村分院廃止され谷村村営となる。郡役所新庁舎新築完成。(現法務局所在地)谷村役場を改築。宝村役場新築(中津森718番地)盛里村が独立して三吉・開地村で三吉村外1ケ村組合役場を三吉村(生出神社前)に置く。甲武鉄道新宿〜八王子間開通。 |
23年(1890)
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◇谷村警察署本館改築。第1回衆議院議員選挙施行、第2区(東山梨、南北都留郡田辺有栄当選。宝村の俳人小林椿年没。(74歳) |
24年(1891)
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◇谷村裁判所2階建改築工事完成。御料局庁舎が早馬町家中に設置される。 |
25年(1892)
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◇谷村郵便局が新町仁科宅に移転。谷村高等小学校開校。 |
26年(1893)
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◇桂村が東・西桂村に分村し、旧夏狩、十日市場、鹿留、境が東桂村となる。 |
27年(1894)
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◇日清戦争始まる。谷村町の公設消防手が50名に増員される。 |
28年(1895)
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◇雨宮敬次郎を中心に桂川水力発電所発起人会なる。 |
29年(1896)
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◇谷村町制を施行して谷村町となる。南都留染織学校を谷村町に開設。南都留郡甲斐絹同業組合が谷村町上谷に設置され発足。盛里村の俳人杉本杉夕没。 |
30年(1897)
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◇開地小学校校舎が新築され開校。(現在地) |
31年(1898)
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◇第5回衆議院議員総選挙に谷村の河口善之助(自由党)当選。第6回衆議院議員総選挙に河口善之助(憲政党)当選。 |
32年(1899)
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◇有信銀行谷村支店、谷村商業銀行設立。昇小学校校舎新築完成。三吉・開地村の組合役場は分村して独立する。笠井光謙を中心に西涼寺を仮用して瓶城学館開設。(33年3月閉校) |
33年(1900)
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◇村立谷村病院を野呂宅に移転。(現市役所駐車場)県立中学校分校を谷村町に開校。(県病院分院跡)都留馬車鉄道会社開業。(小沼〜富士吉田間) |
34年(1901)
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◇十日市銀行が十日市場に設立。南都留染色学校を郡組合立染色学校に改称。 |
35年(1902)
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◇県立第一中学校都留分校が大月に移転。谷村テニス盛んになる。作家鳴山草平(本名前田好照)誕生。 |
36年(1903)
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◇三菱合資会社が宝鉱山を買収。中央線甲府〜八王子間開通祝賀式。富士馬車鉄道大月〜小沼間開業。 |
37年(1904)
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◇日露戦争始まる。谷村商業銀行本店が新築。(現箕田時計店所在地)谷村町営水道計画始まる。町立谷村女子補習学校が谷村小学校内に併設される。谷村電灯株式会社、三の丸に発電所を建設。 |
38年(1905)
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◇山梨県工業試験場が染織学校校舎跡に設置。織物消費税徴収をめぐり谷村税務署騒動おこる。谷村電灯会社により谷村三の丸発電所完成され谷村、十日市場に電灯つく。南都留甲斐絹同業組合設立。 |
39年(1906)
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◇長安寺住職原徴信が本堂を仮用して青藍幼稚園を開設。 |
40年(1907)
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◇全県下大水害、宝村、盛里村被害をうける。東京電燈駒橋発電所日本最初の大出力長距離送電を開始。 |
41年(1908)
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◇宝小学校校舎落成式挙行。 |
42年(1909)
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◇与縄小学校校舎落成式挙行。 |
43年(1910)
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◇県立都留中学校開校。 |
44年(1911)
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◇谷村座で活動写真の上映開始。御料林を山梨県へ下賜(28万8,000町歩) |
大正元年(1912)
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◇明治天皇崩御、大正と改元。檀一雄谷村円通院前の高部家離れに生れる。 |
2年(1913)
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◇東桂村役場が十日市場1166番地に新築完成。八王子織物問屋向山商店の破綻で郡内機業界混乱。 |
3年(1914)
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◇公立谷村病院が廃止される。鹿留発電所運転開始。奥源禄により谷村スキークラブ結成される。 |
4年(1915)
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◇工業試験場、県立工業学校とともに新築工事が落成して上谷二の側に移転。桂クラブ誕生、甲府師範と対戦して勝つ。桂電燈会社が谷村発電所から受電して東桂(十日市場を除く)宝、禾生、盛里、三吉、開地に点燈する。牛田唯一衆議院議員(政友会)当選。 |
5年(1916)
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◇谷村町立谷村実科高等女学校設立認可される。盛里の画家清水豊掌没。(86歳) |
6年(1917)
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◇第13回衆議院議員総選挙に三吉村の牛田唯一再選(政友会) |
7年(1918)
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◇谷村を震央とする地震発生(甲府で震度4)谷村に被害あり。谷村町が消防手を300名に増員して町長に組頭を兼務させる。 |
8年(1919)
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◇谷村町立火葬場が建設される。富士自動車会社設立、大月〜吉田間運転開始。 |
9年(1920)
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◇谷村(深田)発電所運転開始。第14回衆議院議員総選挙に東桂村の三枝彦太郎(政友会)当選。 |
10年(1921)
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◇富士軌道会社により大月〜富士吉田間の電車運転開始。 |
11年(1922)
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◇谷村上水道完成。夏狩発電所完成。大幡を分校として宝尋常小学校となる。宝鉱山従業員ストライキおこる。 |
12年(1923)
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◇4月1日郡制が廃止される。三の丸の発電所町営となる。県立第4高等女学校(都留高女)開校。関東大震災、県内死者20人、全壊578戸。 |
13年(1924)
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◇谷村競馬場建設始まる。大町桂月郡内山嶽縦走のため谷村に来て三つ峠に登山。川茂発電所運転開始。 |
14年(1925)
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◇盛里村役場建築。県下少年野球に谷村小学校チーム初めて優勝し、南関東大会にも優勝して全国大会に出場。 |
昭和元年(1926)
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◇富士山麓電気鉄道株式会社創立、社長堀内良平。郡役所の事務を県に移管。東京電燈株式会社社長神戸挙一、東桂小学校に愛郷学堂を建設寄附。谷村町消防組の副組長を3名制とし、9部制に改組する。町長の兼務組頭制度を廃止する。12月25日大正天皇崩御、昭和と改元。 |
2年(1927)
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◇警察署長官舎と演武場が落成。谷村商業銀行が第十銀行と合併し、商業銀行社屋を支舎とする。東桂村境出身の画家米山朴庵没。(64歳) |
3年(1928)
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◇谷村町役場庁舎が新築される。町立谷村高等女学校新校舎に移転。 |
4年(1929)
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◇谷村居住の画家五十嵐城南没。(62歳)富士山麓電気鉄道大月〜上吉田間開通。谷村町招魂殿落成式。 |
6年(1931)
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◇9月18日満州事変おこる。中央線甲府〜新宿間の電化実現。谷村高等女学校が県立谷村高等女学校となる。県下中等学校野球大会に谷村工商学校初優勝。町別野球大会始まる。柳条湖の満鉄線爆破事件を口実に関東軍が軍事行動をおこす。(満州事変)9月18日 |
7年(1932)
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◇1月18目上海事変おこる。3月1日満州国が樹立される。 |
8年(1933)
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◇禾生村上水道竣工。谷村町公益質屋が下谷319番地に開設される。 |
10年(1935)
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◇千段の滝の登山道が整備される。 |
12年(1937)
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◇禾生村新庁舎が建設される。国民精神総動員山梨県実行委員会が発足。7月7日蘆溝橋で日中両軍が衝突し日中戦争はじまる。各地区に国防婦人会ができる。 |
13年(1938)
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◇開地村役場新築。井倉上水道竣工。 |
14年(1939)
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◇県下中学校野球大会に谷村工商学校優勝。地域、職場に勤労報告隊結成が促される。 |
15年(1940)
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◇県下で木炭、砂糖、マッチ切符制が実施される。紀元2600年記念祝典挙行。藤井霞郷2600年記念に尾県小学校へ「山径の秋」を寄贈。南北都留郡内のバス会社が合併して都留自動車が設立。日独伊三国同盟が締結される。大政翼賛会が発足。 |
16年(1941)
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◇大日本青少年団が結成される。第十・有信銀行が合併して山梨中央銀行となり営業開始。ハワイ真珠湾を奇襲し第二次世界大戦始まる。 |
17年(1942)
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◇1月8日、大詔奉載日と定められる。南都留地方事務所が谷村町役場内に設置。三吉・開地村が谷村町と合併。谷村町営ごみ処理場が建設される。町営電気部関東配電に統合される。学徒動員令公布。中学校・高等学校の修業年限が中学校4年、高等女学校2年に短縮される。シンガポール陥落(2月15日)翼賛壮年団結成。 |
18年(1943)
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◇満蒙開拓南都留郷移民。山崎部隊長(禾生村出身)アッツ島に玉砕。谷村産報機山崎号飛来、小学生人文字にて歓迎する。未就職女子を調査して勤労挺身隊が編成される。金属回収で寺院のつり鐘、刀、織機などを供出。防空頭巾の携帯がはじまる。 |
19年(1944)
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◇8月学童237名が谷村町、東桂村に疎開。谷村町号献納機命名式。県下全中学校生徒が援農に出動。谷村工商学校商業科生徒募集停止。7月より神奈川、愛知県などに県下の男女学徒一斉出動。10月19日神風特別攻撃隊が編成される。(10月25日初出陣)11月24日東京がB29の初空襲をうける。学徒出陣。 |
20年(1945)
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◇甲府市大空襲、全市の74%が焦土となる。(7月6日)8月6日米軍広島に原子爆弾を投下する。(8月9日長崎)大月町空襲をうける。(8月13日)天皇の終戦詔勅放送。第二次世界大戦終る。 ◇灯火管制解除される。(8月20日)陸海軍兵士の復員がはじまる。(8月23日)天気予報復活する。国民学校を再開する。禾生小学校全焼。 |
22年(1947)
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◇6・3制の新制中学校設立。谷村工商学校野球部全国大会に出場。谷村労働基準監督署を谷村町役場内に設置。消防署を前島宅に置く。昭和天皇行幸上谷の山梨染工(株)視察。新制高等学校発足(谷村南高等学校・谷村高等学校) |
23年(1948)
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◇谷村町に自治体警察を設け5ケ村を管理。消防署庁舎を谷一小前に新築し移転。宝村診療所を開所。 |
24年(1949)
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◇谷村警察署(自治体警察)庁舎が新町に竣工。貞明皇后山梨県行啓谷村織物工業組合、東桂村藤江喜吉郎、関戸権一郎工場を視察。谷村〜道志線バス運行。谷村町大火。谷村東高等学校・谷村南高等学校統合し、谷村高等学校と改称。 |
25年(1950)
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◇南都留地方事務所早馬町に新築移転。禾生第一小学校校舎竣工式。第1回市町村対抗軟式野球大会に谷村町チーム優勝。 |
26年(1951)
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◇谷村町警察署廃止となる。谷村職業指導所設置。 ◇谷村信用組合開設。都留信用組合桂支店開設。初の市町村教育委員選挙。 |
28年(1953)
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◇県立臨時教員養成所を谷村町に設置。自動車教習所を大神宮境内に新設。 |
29年(1954)
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◇都留市制施行(4月29日)。(谷村町、東桂、宝、禾生、盛里村が合併)分市問題おこる。禾生診療所開所。都留市長選に小林冶郎当選。第1回都留市芸術祭。第1回市民体育大会。都留市連合婦人会結成。 |